小説、始めました。

 演劇から足を洗って数年。ちょこちょこお誘いを受けてお手伝いする以外は今のところ何もしていない私ですが、先日モンパレのサービスが終了し、家に帰るとこれといってすることも無くなったのであります。
 とはいえ、演劇を再開するほどの時間もなく(あればゲームなんてしてないけど・・・)とりとめもなしに小説を書き始めました。

 拙い小説ではありますが、もし気になったらアクセスしてみてくだされ。。。


【魔芒の月】 というタイトルで書いておるハイファンタジー(異世界冒険譚)であります。

 これは昔・・・20年くらい前かな、ワープロで書いていた作品の後日譚です。設定やらなにやらかなり変更してはいるんですけど、あまり仲間内にも見せてなかったので、これはこれでいいかな~なんて思ってます。

 僕は20代のころ、本当に無為な生活を送っていた。30代の後半から演劇にのめりこむまで、何もしていなかった。生活のために働き、家に帰ると漫画を読んだり、ファミコンでゲームをしてたりという毎日。
 それの良し悪しは別にして、自分としてはものすごいジレンマだったわけである。子供のころに漫画家を目指し、中学、高校と映画監督にあこがれ、アニメオタクになりつつも、日々何かを創っていた。
 それがただ単に、何も作らない生活を送っていた。引きこもりというのとは違うのだけれど、ある意味無駄な毎日を送っていたのである。

 僕が小説を書き始めたのは、そのころでもあった。漫画は時間がかかり、映画は撮れそうもなく、仲間もいない。脚本を書くというより、小説を書いて、いつか何かを創るベースにしようとしていた。実は高校時代にも赤川次郎風のミステリーを1本書いた事はあったのだが、どうも自分には大河ドラマのような長いストーリーを作る癖があるようで、登場人物も何十人も出てくる。最初はゲームの三国志にハマリ、吉川英治の三国志を読み、三国志に関する書籍から、孫子や韓非子に傾倒し、史記などまで読み倒していくうちに、西暦200年ごろ(三国志の時代)の時代をベースにしたファンタジー小説を書いていた。ファンタジーとは言うものの、魔法も怪物も出てこない。例えば銀河英雄伝説のような架空の戦記物である。
 のちに、現在書いている【魔芒の月】の元となる【魔法王伝承】という物語を書き始めることになる。

 先述した無為に・・・というのは実は間違っていて、そうした時間も自分には必要だったと後で思い知った。この時に過ごしたことは無駄なように思えても、世間に認められるような創作者になれなくとも、自分が生きてきた時間は確かに今に生きている。

 僕が今小説を書き始めたのは、また演劇をするためではないし、ただの暇つぶしなのかもしれないが、創作者でいたいというくすぶった思いなのかもしれない。

 もし興味のある方がいたら、読んでみてください。

 さすがに66万件もあるサイトでは、新参者の人気もない作品を検索しても出てこないので、URLを入れときます。
 まだ今日の時点では、会員以外のコメントを受け付けていないのですが、いずれ受け付けますので、感想など書き込んでいただけると嬉しいです。

【魔芒の月】
この小説のURL : https://ncode.syosetu.com/n1544fp/

12人の怒れる男たち

 今年の10月13日にフレンドリープラザで『12人の怒れる男たち』の公演があります。GYUさんたちの公演なのですが、なんと古川さんも出演との事。

 古川さんもあのご年齢で精力的に活動してて、すごいですね。

 昨年は東京での公演も果たし、今年はプロの劇団の客演(?)でしょ。本当にお元気で、頑張っておられますね。
 最初の頃と比べても、舞台慣れしてきたし、演技もかなりうまくなりましたね。稽古にはお邪魔してないので、ちょっとコメントしにくいのですが・・・。

 12人の怒れる男たちは、僕も昔やりたかった台本です。

 舞台は高校演劇の県予選で、高校生がやったのを見た(高校演劇用に許可を得て改定したバージョン)だけですが、あの息苦しいような重厚な台本は、自分としては憧れでした。これは演ってみたかったのです。無論僕がやってみたかったのは主役ではありませんけどね。(キャラ的に無理だし)
 ご存知の方もおられるでしょうが、演劇では古典です。映画にもなっているので、興味のある方はご覧になってみてください。
 ネタばれしても面白い話なので、ちょっとかいつまんで説明させていただきますと・・・

 アメリカの陪審員の話なんですね。

 とある殺人事件を巡って、陪審員が被疑者を有罪にするか、無罪にするかを話し合うという密室劇です。

 うだるような暑さの室内で、12名の男たちが一つの部屋に集まって話し合う訳です。考えただけでも暑苦しいでしょ(笑) 
 でね。 12人いる陪審員のうち、11人までが有罪を主張します。ところが、たった一人だけ、無罪を主張するわけですよ。

 夏の日の午後、うだるような暑さの室内、しかも(たしか)空調があんまり効いてない。(昔だしな)もうみんなやる気のないとこに、一人だけ有罪に反対するわけです。
 早く打ち切って帰りたい人もいる訳ですよ。

 そんな中で、一人だけ無罪と主張するわけです。

 その人は、縁もゆかりもない被疑者の無罪を主張する。そして反対するみんなを一人一人説得していく訳なんですね。

  三谷幸喜さんの有名な作品に『12人の優しい日本人』という名作がありますが、あれはこの作品をモチーフに作られてます。これもすごく面白くて、許可が取れないなら、コッソリやっちゃおうかと、思ってた時期もありましたね。

 ただね、キャストを12名集めるのは至難の業でした。(警官も入れると、13~4人くらいだったか)


 古川さん、頑張ってくださいね。

 僕はチケット買っても観に行けないかもしれませんが・・・。(;'∀')

探偵は女手ひとつを読みました。

 作者の深町秋生氏の父上とは、演劇の関係で、懇意にさせて頂いておりますが、今までほほとんど著作を読んだことがなくて、映画化された『果てしなき渇き』も文庫本を頂いたのですが、手つかずじまいでした。
 時間のないことが大きな理由ではありますが、加齢とともに来る老眼というやつが、読書から自分を遠ざけてしまったようでして、最近は漫画を読むのも苦痛で、すぐに疲れるし。PCもあんまりやりたくはないのです。

 それでも読んでみようという気になったのは、北海道に出張が決まって、3時間半くらいの移動があったものですから、往復7時間くらいあれば読めるんじゃないかと思ったわけです。
 先日山形を舞台にした『探偵は女手ひとつ』の新刊本を頂いていたので、荷物に入れて行ってまいりました。

 読んだことはないといいましたが、『ダブル』ともう1冊はかつて老眼になる前に、拝読させていただいたことがあり、ハードボイルドの作風であり、あまりにもブラックな印象から、山形という田舎を舞台とした作品が果たしてできるのだろうかという興味本位もあったわけです。

 読み終えたのは2時間・・・1時間半くらいか。

 さすがにスピード感のある小説手法で、短編なのであっという間に読み切ってしまいました。今までの作品のハードボイルド感は色濃く残しつつも、エンタメに徹する感覚で面白く拝読させていただきました。
 深町氏の作品を読んで思ってはいたのですが、人の闇を当たり前のように表に出していく。そこが人としてひっかかかるわけなんですけど、目をそらさないで現実を見れば、誰も口には出さないけれども確かにそこにある。あるんです。

 さて、この『探偵は女手ひとつ』ですが、これは短編です。長編もいいけど、僕は昔から短編が好きでした。しかもシリーズ化される短編のだいご味は、何といってもキャラクターの増殖でしょう。
 1話に出てきたサブキャラクターが2話、3話と進んでいくうちに、いろいろな絡まりを見せていく。演劇でもそうですけど、僕は主役があまり好きではない。キャストをやるときに選びたいのは脇役です。それと同じように、短編のシリーズでも個性的なサブキャラがどれだけ作れるかという事が、面白さの定義の一つのように思います。

 少なくとも、この作品中のサブキャラはみんな個性的で、回を追うごとにチラリチラリと顔を見せていく。実際、この作品が映像化されないかなあとひそかに期待しています。

 その時はエキストラで読んでください(笑)

2017あけましておめでとうございます。

 あけましておめでとうございます。

 今年も雪のない正月を、ただただ横になって過ごしております。
 雪がないのは楽なのだけれど、なんか落ち着かない。

 やはりあるべきものはあってくれないと、どうも落ち着かない。
少しばかり寂しさすら感じてしまう。

 今年は15日に、伝国の杜で、フルカワさんのお手伝いをしに行きます。演劇と、トークと映画だそうです。
セットの組み換えらしいのですが、ちょっと難儀な仕事になりそうです。電パク使えないんだろうなあ・・・。

 もしよかったら見に来て下さいな。

 ちなみに、明日、親父が入院します。

6日に手術と慌ただしい日程です。15日にはなんの問題もなかろうとは思うけど・・・・

 ん・・・・・・なんかコーヒー飲みたい。

 出かけるのも億劫だにゃあ。

 寝てばかりいるので節々が痛い。・・・・寝るかな。

 ではまた。

 

夏風邪

こんばんは。
久しぶりに更新します。 先週から実は夏風邪をひいてしまって、日曜は久々に寝ていました。

 古川さんたちの落語芝居に行こうかとも思ったのだけれど、ちょっと行く気になれませんでした。

 芝居がどうという話ではなくて、単に自分がつらかっただけなんですけどね。実際、入りがあまりよくなかったらしいんですけど、どうしてかなあ?
 企画は良い企画で、内容的にも悪くないと思うのですが。
 こういう企画を公的な機関がもっと、補助したり宣伝したりしてあげればいいのにと思うんですよね。

 最近、とみに思うんですけど、人間やっぱ、何か夢中になって遊ぶ時間があないといけないな・・・と。

 少しくらい忙しくても、何か趣味に没頭できるような時間があると、人間暇を持て余すというようなことがなくなるんじゃないかな。そりゃあ、たまに何もなき一日を無為に過ごす時があってもいいけど、それはたまにだから良いのであって、何もないとやる気も失せるのかなあと思うのですよ。

 自分、今は仕事と地域の役員をやっているので、実際物理的に演劇は無理なんですけれど、それでも昔は小説を書いたり、脚本を書いたり、絵を描いたりしてたもんです。

 いまは何もやる気がしません。

 PCというのも曲者で、これも暇つぶしにはなるけれど、そうそう楽しくもない。

 今の子たちはひょっとすると、非常に不幸な遊び方しかできないんじゃないかと思う時がある。そりゃあ、僕らの時代はPCもスマホもなかったけれど、なんか楽しかった。・・・・ような気がする。

 年齢を重ねたから、楽しかった思い出しか思い出せないのかもしれないけどネ(笑)

ぬ~ぼ~さんは元気かな?

 先日ちょこっとブログを拝見しましたが、劇団ぬ~ぼ~も秋の公演に向けて台本選びをしてるみたいですね。

 劇団辞めてから、結構時間がたってしましましたが、それでもまあ時々は気になります。今までのOBさんたちもこんな感じだったのでしょうかね。

 古川さんは今度ローカルFMのDJをやられたり、落語の方も相変わらず忙しくやっておられるようで、たいしたものです。「父と暮らせば」も女優さんを変えつつt、ライフワーク化しているようですよ。

 私は今年と来年は、地元の役員をやらねばならないので、お手伝いも出来ない状態は相変わらずです。
 再来年は、どうかなあ?
 再来年は下の娘が受験か~。

最近二人とも絵が上手になって、驚きました。自分もこの時代はひっきりなしに絵を描いていた時期でしたから、なんかくすぐったいような気になりますね。

 今年も公演見に行けると良いのですが、ぬ~ぼ~がんばれ!

2016年 あけましておめでとうございます。

 あけましておめでとうございます。

 今年はけっこう何事もなく、休めたので、ブログも久々に更新できるかもとと思ったら、やっぱり駄目ですね。

 どんどんどんどん楽な方向に引きずられていくようで、いけませんな。

 
 昨年はぬ~ぼ~の公演の後に叔母が亡くなり、風邪で体調を崩したりと、年末にかけては仕事以外で大変な日々が続いたのでございますよ。仕事の方は、雪が降らないお蔭で、ようやく暇になりつつありますけどね。
 明日からの仕事始めなので、まだどうなるかわかりませんが、この調子だと、3月くらいまでは、暇になるかもしれませんね。

 ただ、毎年、体が壊れていくので、今までのようには仕事も出来なくなりました。

 どうして、うつ病にならないのか、自分でも不思議なんですけどね。

 ともかく、更新できるうちは続けていきますので、よろしくお願いいたします。

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104回公演 弱法師 斑女

 久しぶりに、劇団ぬ~ぼ~の公演を、純粋な客として観させていただいた。

 今回は娘が演劇に興味を持っているという事もあって、家族で観劇させて頂いた。ミキオ先生は相変わらず笑顔でロビーにおられたが、どういう訳かお話しするタイミングを逃してしまった。ともあれ、今回の劇の出来からみて、自分としては非常に安心した。おそらく先生も同じであろうと思う。

 自分としては、娘たちがこの作品を見て面白いと思うかは甚だ疑問ではあったのだが、どうやら最後まで芝居を観ていられたようである。終了後に、感想を聞いてみたが、やはり、意味不明だったらしい。しかしながら、劇の意味が観た者すべてに理解できるというものでもないので、それはそれでよいでしょう。なにか引っかかるものを得たならば、それはいつか彼女たちの糧となるのだろうから。

 さて、自分はどうか?

 正直な話、好きな人には非常に申し訳ないことだが、ボクは三島由紀夫が苦手である。どこがいいのかよくわからない。
 三島由紀夫の作品は『午後の曳行』しか読んだことがないので、大口をたたいてはいけないのだろうけれど、自分の趣味からすると、面白くない部類に入るのだろう。

 三島由紀夫の作品を観て、僕が思うのは、『限りなく透明に近い青白い宝石』とでもいうものだろうか・・・? 狂気に純粋さがあって、それは自分であるというナルシステックな側面が見えてどうも好きになれない。物語を作るというのは多かれ少なかれ、ナルシステックな部分があるというのは否定できないと思うのだが、三島由紀夫の場合は、それが強烈すぎる。もう30年若ければ、心酔することもあったのかもしれないが、今はもはやそういうものに興味はない。人が純粋であることに、あまり興味がない。 濁っていてこそ、人は崇高であり、面白いと思うからだ。

 話がそれた。拙い三島由紀夫の論評はやめにしよう。

 どのみち、自分の言っていることに確信があるわけでもないし。



 さて、今回の芝居を観させていただいて、思ったのは、若手が伸びたという印象が強かった。ベテランに交じっての若手の演技は、今まで残念ながら見劣りがしていた。今回はそれがない。若手は若手らしくベテランの演技に正面からぶつかっていったようで、観ていて安定感を感じた。
 もっとも、若手と言っても、ある意味ベテランの域に入る経験年数は経ているわけで、当然と言えば当然なのかもしれないが、ヒラヤマは特に芝居に幅が出てきたように見える。
『新 羅生門』あたりから、伸び始めたと思っていたが、ようやく役者としてはいっぱしになったように思う。前は、どうしても{俺が、俺が」という気持ちが急いていて、芝居全体のバランスを崩しかねない演技をしていたものだが、最近は年相応に落ち着き始めたと言えるのだろうか(笑)

 斑女はかつて自分も演出したことがあったのだが、今回はそれよりも良かったのではあるまいか。カナコ女史の演出のディティールの細かさが、功を奏しているように思う。
 例えば、弱法師で、両親が退席するシーン。
 自分も結構経験してきたが、こういうシーンで『ご両親は退席してください。」なんていうセリフ。あるいは『一同退場する。』なんてト書きがあると、一斉に席を立ち、ゾロゾロと袖にさがる。なんていう演出や役者をよく見かけるのだが、時間差を置くことで、双方の家庭人物像などを浮き彫りにしていく。
 こういう部分は、なかなか出来なくてねえ。細かいことだけど、物語のリアリティが増すんだよなあ。

 ともかく、みなさん。

お疲れさまでした。

惜しむらくは、僕の知らない新団員が居なかったのが残念です。これからもよい芝居を作り続けてください。
では。。。。。

劇団ぬ~ぼ~ 公演のお知らせ。

こんばんは。
劇団辞めておよそ1年半でしょうか。まだブログは更新して・・・・黒猫がきてちょっかいかけそうなの・・・。
キーボードを見つめるなよ、おい!


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劇団ぬ~ぼ~ 第104回公演

三島由紀夫作

弱法師  斑女

2015年10月25日(日) 1:00PM 開場 1:30PM開演

場所  米沢市市民文化会館



見に来ておくれ~!

いしゃ先生

 最近フルカワさんの話ばかり続くが、今日もこちらです。
 (最近はお会いしてないんですけどね)

 今日、コンビニに行ったら、『いしゃ先生』のポスターが貼られておりまして、(ああ、これか~、ふるかわさんが出てらしたのは。)とか思ってクレジットを見ると、なんと、ふるかわさんの名前がのっかってるじゃありませんか。

 これけっこう嬉しいですよ、当人にとっては。

 わしも、かなり前に『劇団OOさんのみなさん』とかじゃなくて、エンディングクレジットに名前が出たときはうれしかったですね~。なんか役者になったような気分になったもんなあ。

 という訳で、よかったら見てください。こんな映画です。

                いしゃ先生

 ところで、ぬ~ぼ~は元気なんだろうか?
 人も減って、大変だけど、そろそろ次回公演の告知しといたほうが良かないかな?

 米沢市市民文化会館のホームページ見ても、自主事業しか載ってないし、前だと予定表が載ってたんだけどなあ・・・。違うページにリンクしてあるんだろうか?

 高校演劇の地区大会もそろそろのはずなんだけどいつだか全然わからん。
 それとも今年は別の劇場でやるのかな? いやちゃうよな・・・。






 そういや、うちの長女が川西町のこども演劇教室で、公演やります。

 9月23日  川西町フレンドリープラザ

       青空に夢を
 


 だそうです。 うちの子はストレスがたまると、前触れもなく固まってしまってしまうことがあるので、けっこう心配してます。
 これだけは、病気のようなものなので、本当に困ってしまいます。
 無事に終わりますように・・・・。

お引越しのお知らせ。

 僕が別のハンドルネームでぬーぼーのブログをやっていた訳なんですが、このたび別のブログで近況なんかをアップするようになったようです。あっちはもうしばらくしたら閉めようかと思いますが、とりあえずお知らせです。

 劇団ぬーぼーのすすめ

 URLはこちら。

        http://blogs.yahoo.co.jp/gekidannubow


 さて、フルカワさんの『父と暮らせば』の公演も、結構長くなってきました。公演回数は何回になるのかよくわかりませんが、私も2回ほど拝見させていただきました。無論、意地悪な私の事ですから、けっこうひどいことも書きましたが、まずはあの台本をあの年齢で、ここまでやってきたという事に、畏敬の念を感じます。実際たいしたものです。わたくしなど、先日の芝居のセリフ量でも覚えきれてないというのに
 娘もすでに5人目だとか(笑)
 来週も長井で公演があるそうなので、時間があれば拝見しようかなと思ってはおりますが、なにぶん体力とお金に反比例するかのように仕事があったりするので、何とも言えませんけどね。ホント、貧乏暇なしって言葉通りですよ。

 ちなみに、先日面白い発言を読みましてね。けっこう自分としては納得いったものですから、ちょっと紹介したいと思いましてね。

 『火垂るの墓』で有名な高畑勲さんが言ったそうですが、『火垂るの墓は反戦映画ではない。』と。
その理由というのが『反戦映画というものが、戦争の抑止力(つまりは戦争をやりたくないと思わせる映画という定義ならば)になるものならば、火垂るの墓は反戦映画というものではないんじゃないか。戦争は悲惨でやりたくない、死にたくないという映画ではなく、人を殺したくないと思わせなければ。』という旨の発言だったと思います。
(細部まで記憶しておりませんので、気になった方はググってみて下さい。)

 へー、なるほどなあと思いましたね。

 戦争は悲惨で、国民をあんな目にあわせないためにという理由で為政者たちは戦争をはじめるのだと。

 父と暮らせばも、戦争の悲惨さ、普通の人間にどれだけの傷を負わせたかという意味では、よくできた台本だし、素晴らしい作品だとは思うけど、そういう意味ではこれも抑止力にはなっていないのかもしれませんね。大事なのは戦争がいかに非人道的であり、悲惨な結果をもたらすかという事より、いかに人を傷つけたくないかと思わせることが、戦争の抑止に繋がるかってことなんだろうという訳でしょうか。
 ちょっと自分でも要点がまとまりませんけど、ちょっと作品の見方が少し変わりましたね。なにも無理やり反戦映画、演劇とレッテルを貼らなくてもいいんでやんすが、反戦のレッテルが貼られた物の感じ方が少し変わったという事です。
 戦後70年という事で、今年は節目。TVなんかでも戦争の記憶の風化がどうとか、盛んに言ってますが、こんな見方で戦争を語るというのは実に目からウロコでした。戦争を体験しなかった運のいい我々にとっては、悲惨でなかった事が、運の良さではなくて、人を殺さず(傷つけずに)に済んだという幸運だった、という事に気づかせられた一文でした。

 はて、いつになく真面目な文章になっちまったかな?

 ではまた。

 

井戸の茶碗始末

 昨日、帰りに車のヘッドライトに浮かび上がった若い女性。
 白いワンピース姿の女性でしたが、手にリードを持っていまして、その先が何もないのでございます。

 『すわっ! もしや幽霊犬!!』

と思ったら、黒い大きな犬でございました。
ふと、これが逆に人間の方が幽霊だったら、面白いかな。。話のネタとしてですけれどね。

 さて、先日〖井戸の茶碗〗の公演が終わりました。入場者数130名、まずまずの入りでございました。金太郎師匠はお風邪を召されたとかで、体調最悪の状態だったそうですが、そこはさすがにプロ。舞台の上では咳ひとつせず、具合の悪さ謎微塵も感じさせない舞台でした。
 ただ、打ち上げでご一緒できなかったのが残念でしたね。

 自分としては不本意。いや、本番じゃなくて稽古にほとんど参加できなかった事がです。半立ち2回、本立ち2回くらいかな。ヒデオさんと絡んだのがゲネ前の本立ち1回のみ。セリフもろくに入ってなくて、全セリフほぼアドリブ状態でしたからねえ・・・。
 いつも思います。もっときちんと練習できてたら、お客さんをもっと沸かせられたのではないか? もっと笑ってもらえたのではないか? 等々

 練習すればいいってもんでもないんですが、それでもいつも悔いは残ります。

 VTRは見損ないましたが、けっこう反応は良かったようで、それは救いでしたね。

 あのメンバーは、それぞれがいろんなことを独自でやっていて、舞台慣れした人たちばかりなので、稽古不足を苦にしないんですね。いや、苦にしないというか度胸があるというか、胆が座っているというか、『こんにちはかあさん』をご一緒させていただいた時も思いましたけど、いっぱしの舞台人です、みなさんは。
 ぬ~ぼ~とはいろんな意味で違いますが、ある種のプロ集団ですね。
 
 僕は今年はこれ以上はもういろんな意味で無理ですが、フルカワさんたちは10月にまた朗読劇をやられるそうで、忙しい毎日を送っておられるようです。
 頑張ってください。打ち上げの時にも言いましたが、粒はみなっさんそろっておられるのですから、置賜の演劇で感動した、もっと見たいという人たちが増えるように、素晴らしい舞台を作り上げてください。

 そうそう、アドリブでヒデオさんの『屑い~、お払い。』の売り子の声を『シケタ声』なんて言っちゃいましたが、あくまでキャストの役柄としてのアドリブですんで、お気にかけませんように。
(打ち上げの時に言っとかなきゃと思っていながら、酔って忘れてしまいました。)
 ゲネで初めて拝聴しましたが、いい声でしたよ。

 では、これで。

(次の更新はいつになるやら・・・・。)
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               知らにゃい・・・。

台本について

 川西町演劇研究会のお手伝いで、7月の公演を手伝うことになりました。5年ほど連続でやっている落語を演劇にするという試みで行っている芝居です。
 最初は、仕事の都合で出られないかもしれないという事で、お話ししましたが、とりあえずキャストは出番の少ない役に変えていただいたので、なんとかやれるかもしれません。

 落語を芝居にするという事で、台本はほぼオリジナルになるわけなんですが、最初の台本を見せて頂いたとき、どうも芝居の台本にというよりは落語をコピーしただけのような印象を受けました。
 セリフが長いのは、ある程度仕方ないかな。と思うのですが、セリフのイメージ、受ける印象がどうも、一人芝居のように感じられて、あまり感心しませんでした。

 最新の台本は先日見せて頂きましたが、そこの部分はだいぶ改善されているように思います。ただ、舞台にかけるとき、この展開だと、苦しいなと思う部分があり、まだまだ改善の余地があるように感じました。
 同じころ、サカキからも台本が送られてきて、それも拝見しましたが、こちらはマンネリ。よほど急いで書いたものか、心情だけでざっと書き進めていったものかと思います。むろん、こちらには強烈にダメを出しておきました。

 芝居も10年以上やってきましたから、台本もいろんなものを読みました。プロの台本がもちろん多いのですが、少なからず素人の台本もけっこう読ませていただきました。
 自分でも台本はいくつか書きましたが、どうも自分のは素人によくある説明くさい台本になるようで、ぬ~ぼ~のメンバーにはあまり受け入れてはもらえなかったようです。

 自分の事はさておき、素人の台本がプロのそれと違うのは、まず、ト書きの少なさですね。

 これには理由があって、まず間違いなく舞台のイメージが無い話になっているんですね。

 台本は小説と違って、舞台を構成していくという目的がありますから、イメージでの話を舞台という様式の中に具現化していく作業が必要になるわけです。台本はお芝居の設計図のようなものですから、ここが上手くできているか否かで、舞台の出来不出来に作用してくるわけです。
 構成力のある演出の場合は、そういう部分もサポートできるかもしれませんが、僕のように並の人間には、なかなか・・・ですよ。

 今度、芝居の脚本を書こうと思う方は、舞台の上に何があって、どういう風にキャストが動くのかを想像して書いてみてください。それだけで、きっと台本の出来が大きく変わってくると思いますよ。

娘、デビューです。

 というか、
プラザ子供演劇祭
のお知らせです。
  <リンクしてますんで、詳しくはご確認ください>

 3月8日は娘の送り迎えですね。

 足、治ってると良いのだが・・・・。



 井戸の茶碗の公演に誘われた。

興味自体は無いわけではないが・・・・。
やっぱりキャストはご辞退しようかと思ってます。
   
 

不注意

 もうすぐ3月です。役員改選の時期であります。今年は隣組の組長も終わり、来年はお役御免です~~~~。

 とまあ、全然関係ないのですが、1月の末に、不注意で転んでしまいまして、コンクリートの床に思い切り膝蹴りをかましてやりました。

 私の膝の皿が軟弱だったものですから、皿にヒビが入りまして、現在ギプスのお世話になっとります。

 仕事は、ほぼデスクワークのみなので、最近は、比較的早く帰ってます。

 でも、な~~~んも

やってません。

  左足の皿は、見事にニコちゃんマークのような亀裂になっておりまして、軟弱に笑っておりますのよ。

 この際なので、歯医者に行って虫歯でも直そうかと思っとります。

   では、また。。。
 















今年は・・・。

あけましておめでとうございます。
今年は劇団関係とはほぼ無縁の生活を送るんじゃないかというご家老様です。

 まあ、そんなことなので、このブログも一層更新しなくなるかもしれないし、暇が出来て昔の事ばかり書き綴っていくかもしれないね。
 いずれにしても、更新するにはエネルギーがいる!

 う~む、ドリンク剤じゃカバーしきれないかも(笑)

 さて、演劇をはなれて、今は仕事以外に何がしたい(仕事はしたくないのだけれどもね)かというと、実は何も思いつかない。

 強いて言うなら、映像がやりたいなあ。

 これも根性と、時間と、お金(まあ、これは工夫次第)がいるので、たぶんやらないと思うけど。



 昔、20歳くらいの時、僕はクリエーターになりたかった。

 その思いはずっと持っていて、いろんなものを作ってきた。

 子供の頃は漫画家になりたくて、高校生の時は映画監督になりたかった。小説だけをずっと書いていた時期もあったなあ。
 演劇と出会いは高校の時だったけれど、自分自身でえんっげきが自分に向いてるとは思わなかった。クリエーターを目指す人は、誰でもそうだと思うけど、あこがれがあって模写していくとこから始まると思う。
 僕は特に強く思ったのだけれど、自分にはクリエーターになる資格はないと思った。何故なら、作るもの、作るもの、すべてコピーだからだ。一時は挫折したね。もう辞めようと思った。

 理由は違っても、今まで何度も何度も辞めようと思った。

 でも、何かを発信したい(悪く言えば自己顕示欲が強いのか、)気持ちが常に抑えきれずに、何かを作ってきた。幸いそれを認めてくれる人もいた。

 話が前後してしまったが、コピーし、アレンジしていくことが自分の持ち味だったのだと開き直って捜索していたころが、一番良いものが作られた時代だったように思う。
 僕にはデザイナーの友達がいて、彼もアナログからデジタルに移行していく過程で目を傷めた。それから写真を始めた頃だったけれど、自分は絵を描くよりもこっちに才能があったみたいだと言っていた。かといって有名になったわけではないのだけれど、自分も絵を描くよりも空間をデザインする事が得意なのだと気づいたよ。
 五十嵐先生のおかげなんだろうけどね。

 という訳で、昨年は何もしませんでしたが、今年は1時間ほど暇があったので、こんなのを作ってみました。

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 さいとう焼きの時に、足元にろうそくを入れて、雪灯籠にしてみました(笑)

 人間、こんな時間って、きっと必要だよね。
 

ご家老様の演劇事情

 さて、ゴジラの話を書く前に公演が終わってしまった((;'∀'))

 もっとも、劇評ではないんでどうでもいいんですけどね。

 しかし、フルカワさん相変わらず元気だなあ。〖父と暮らせば〗の公演もすでに20回くらいは行ってるんじゃんかろうか。あちこちでいろんなお客さんに診てもらうことが出来るのは、役者みょうりに尽きる。
 役者にとっては、修行にもなるし、レベルも上がる事だろう。今でも自分が演劇をやる場にいたら、嫉妬してたかもしれないね。

 自分は春にぬ~ぼ~から退団した。

 好きとか嫌いとか、やりたいとかやりたくないとか、そういう事はすべて抜きにして、時間が無くなったのが理由である。

 人はいろんなものを発明して、生活が楽になり、いろんなことが出来るようになった。だけど、その分、自分たちが楽になったという実感はあまりない。
 僕が子供のころには、ガスに火を点けるのがマッチだったのだ」が、今は日も使わずに料理する時代だ。なのに、どんどんどんどん自分の時間が無くなっていく気がする。僕たちは本当に便利な世の中に暮らしているのだろうか?

 スマホがあるお蔭で、ゲームも出来るし、道を聞かなくてもスマホが教えてくれる。

 だけどゲームに夢中になっているお母さんの隣で、子供がやりたい放題。それを止めてくれる大人もいなくなった。
 いつも何かに追われて暮らすうちに、顔には豊齢線が浮かび、額は広くなり、目は次第に見えなくなった。
50を越えたら、自分自身のカウントを数えるようになった。「俺はいつまで○○が出来るだろう。」とか、「自分はいつXXになってしまうだろう。」とか。

 やはり追われて暮らす人間より、追っている人間の方が、いつまでも若くいられそうである。


  話は変わるが、今度は娘が演劇をやり始めた。
  (前にも書いたっけかな・・・?)
  川西町の子供演劇教室である。

 娘が演劇をやりたいと聞いたとき、自分にはとても不思議に思えた。確かに両親ともに演劇をやっていて、赤子の頃から劇場にいた子供だったけれど、絶対に別の事に興味を持つだろうと思っていた。なぜだかわからないけど。
 もっともいつまで続くか分からないが、今は好きなことをやらせてあげようと思う。


 この前の公演では20分の枠での公演で、ストーリーや主人公もドラマも無いような公演だったけど、3月には脚本を書き直して、公演との事なので、どういう風になるかはお楽しみである。でも、〖幸せの広場〗のテーマと、話の運びからすると、マントクさんは結構苦労するかもしれないね。どういうドラマにするか、それはマントクさんお腕の見せ所とでも言ったところか。

 とりあえず脚本の事は置くとして、登場人物(動物)の色付け(キャラ作り)は明確にしたほうが良いと思う。それで、話のネタが浮かぶかもしれないしね。もっとも、これは釈迦に説法というものなので、もう言わない。。
 3月の公演は、(スポ少の大会と被ったので)必ず観に行きますので、楽しみにさせて頂きます。

 はあ~

 なんか疲れちゃいました。

続き

 予想したより長い文章になりつつあったので続き。

 セイノちゃんの「私、嬉しいわ。」というセリフ。

 これも今はとても悲壮な感じで言ってるし、Pちゃんの「私もよ。」というセリフについても、悲壮感が漂ってるけど。これも例えば、もっと明るく言ってみるのはどうか。セイノチャンの役柄の娘は、体は弱いけれども、心まで弱い娘ではないだろうと思うのね。かつては男の誘いにネグリジェ一つで夜の夜中に待っていたようなアクティブな部分も内包していて、実はひどく勝気な娘なんだろうと思えるのよ。

 たぶんこういうところなんだよ。スペインの人の芝居に見えないと云われるのは。

 きつい言い方をすると、みんな自分の手元、感情移入によるイメージ過多が、日本人らしい役にしてしまっているのかもしれないよ。いろんなバリエーションを試してみたのかい? 

 さて、カナコさんは今回はあまり精彩が見られなかったね。

 ボクが見に来ていたので、何を言われるかと少し慎重になっていたのかもしれないなあ。

 とりあえず、一つこうしたほうがいいんじゃないかと思うんだけど、ぬ~ぼ~の女優陣は確かにうまいし、ベテランも多い。だけど、何の指示もなく稽古を繰り返すのはどうかと思うんだよなあ。
 今回はいつもと違うのかもしれないけれど、やはり、経験の浅い人も一緒にやっているのだし、いくつか気づきを役者に伝えてあげるのは必要だと思うよ。
 数多く繰り返しても、ダメな部分が治らないのでは、徒労になってしまうからね。

 すまん。今日はこれくらいにしとく。

 もう目が見えなくなってきた。

  う~む。年はとりたくないのう(笑)

しもた。最後にもうひとつだけ。

 君たちの衣装は? このシーンひょっとしたら長いスカートをはいているようなイメージがあったけれど、だれもスカートを持たなかった。 そういう衣装じゃなきゃ、余計な一言でした。ごめんなさいです。

ベルナルダアルバの家稽古

 昨日、4か月ぶりにぬーぼーに顔を出してきました。
 じっと1幕3場の稽古を観させていただきました。昨日が本立の初日という事でしたが、それを差っ引いてももう少し頑張らないとなあ。という感じで最初は見てたけど、後半はよくなってきていたので、それなりに出来上がってはいるんだろうと思う。
 前のトランスの時に、あまりに口出ししすぎて顰蹙を買っていたので、それ以降は聞かれるまで黙っていようと思っていたのですが、いじけているように取られたようですね。

 とりあえず、思いついたことは言ってきたのだけれど、もう少し付け足しておく。

 これはほかの方も気づいていて、言ったことなのだが、演じているのが日本人だから、スペイン人になれるわけではないので仕方ないのですが、想像力で西洋人に近づけていく努力をしないと、タイトルが変わっただけ「柳」になってしまいかねない。
 たしかに柳のベースはベルナルダアルバの家には違いないのだが、そこはもう倫理観も風習も風土も違うのだから、そこをちゃんと把握してやらないといけないと思う。

 僕はスペインのこと何一つ、知らない。世界地図でフランスの隣にあって、闘牛とかしか知らない。スペイン人もアントニオ・ガウディしか知らないし、スペイン帝国があって、南米やらアメリカやら、大航海時代に世界の強国であったことくらいしか知らん。
 ついでにウィキで見てみたら、イスラム圏に飲まれたこともあったみたいだけど、それは知らんかった。(フランシスコ・ザビエルもスペイン人だったのか。)
 
 この作品の背景にスペインの歴史も少しは調べてみるといい。ハプスブルグ家だとか、ブルボン王朝だとか、N美さんの好きそうなフレーズもけっこうあるぞ。それに作品の書かれた背景に、フランコ独裁政権だとか、内戦だとかもきっと影を落としてるんじゃないかな。ちなみに、スペインは今も君主制で、今の王様は国連会議で、ブラジルの大統領を一喝したことで有名で、一時期境内の着メロで流行ったんだそうだ。今年は引退して、王子に禅譲するらしいけど、かつては共和制と君主制の間で揺れた時代もあったんでしょうね~。

 かなり話がずれてきたのですが、僕個人の感想から言うと、日本人が西洋人の役をやる場合、決定的に足りないのはウィットだと思う。

 お笑いとか、ユーモアとかいううのとは少しニュアンスが違うので、説明しにくいのだが、その根底にあるのはたぶん反逆心のようなものではなかろうか。
 ちょっと難しいので、この辺りは外国の映画でも数多く見ながら、体得しないといけないのかな。

 N美さんのセリフでベルナルダ・アルバに説教を受けるシーンがあって、そこは母親に対しての甘えのセリフという事で解釈していたのだけれど、それでやってしまうと、どうもアルバが弱い。単に子供を虐待してる感じになるし。口答えするセリフで「それは調べてみないと。。」というセリフは甘えでは出ないのではないかとボクなんかは単純だからそう考えてしまう。
 アルバは絶対的な王であり、君主。というとらえ方も出来るんじゃないか?
 斜めに見るとそうも思えるんだよね。

 あと、ハクさんは、アルバの母親なのだが、少しおかしくなっているのだから、1幕3場のようなシーンでは、セリフが抜けようが、間違おうが、自分で止めないで、稽古の流れを崩さないほうがいい。周りもあまりセリフの正確さに拘らずに、稽古の流れを大事にしたほうが良いのではなかろうか。(このシーンは特に)

 しのはこの場では可もなく不可もない感じであったのだけれど、ある意味僕がヨーコッチに言った事がそのまま当てはまるかもしれない。でも、この場を見ただけでは、一概には言えないけれども、彼女はそのままでもよいのかもしれない。

 Pちゃんはまだ経験が浅いので、ベテラン連中にもまれて右往左往している感が否めない。ただ、一つ気を付けてほしいのは、姿勢である。
 日本にしろ西洋にしろ、良家、あるいは貴族とか、古いしきたりが生きてる家とか、そういう家庭で育った人の姿勢が悪いわけがない。たとえ悪くても、傍から見たイメージでは背筋がシャンとしているようなイメージを持っていないか? よく考えてみましょう。もしベルナルダアルバが、猫背の娘をそのまま矯正もせずに育てると思う?
歩き方にも気を付けること。

 そしてそれはセイノちゃんにも言えるので、これは二人の動作の課題になると思う。

 ヨーコッチについてはほぼ言いたいことを言った。具体的にもう少し言っておこう。あのシーンでボクがダメを出すとしたら、まず2か所。
 靴紐を見るシーン「それがどうしたっていうの。女が一人死ぬだけよ。」
自分の靴紐を踏んで、転んで死ぬ人がどれだけいるかは知らないが、そういうこともあるのだろうな。それはいいんだけど、最初は演技の説明がくどかった。ことさらほどけた靴紐をじっと見ている動作が、僕にはまずダメだったのだが、回を重ねるごとにシンプルになっていったのはよかったと思う。
 ただ、僕が気になるのはセリフの言い回しである。 さっき触れたウィット、あるいは皮肉のようなものが出せればなあと思う。平気な顔で明かるこのセリフを言うtかのパターンも試してみてはどうだろうか?彼女の力量ならば、セリフの言い回しについてはいくつかのパターンをこなすことなど造作もなかろうに。自分の一番手元に持ってきやすい感情で処理してしまっているようで残念だった。

 もう一つは二人の妹たちに対する感情の動き。う~ん皮肉屋と言っていいセリフが多いんだよね。「あんたのその猫っかぶり、大っ嫌い。」(こんなセリフだったよな・・・。)なんてセリフも、その前のセリフとの感情の落差を付けることでもっと印象に残ると思うし・・・考えると他にもあるな。
 二人の妹に「ねえ、あの事知ってる」と言ってから、男が姉と結婚すると告げるシーン。意地が悪い感じがあまりない。たぶんこの役は、抑圧された二人目の父の姉妹の中で最年長であるがゆえに、自分が家の中ではNo2であるというプライドもあって、母親への反発、しきたりに対しての反抗心なんかもつよくて、それが鬱屈した形で出てくるんじゃないかな。例えばこのシーンなんかも、ちょっと歩き方のスピードを変え、二人を寄せて古戸絵で話すとかにすれば、セイノちゃんもPちゃんも芝居がやりやすいと思うのよ。意味もなく歩き回ったりするものだから(これはヨーコッチの悪い癖で、芝居の間が持てないんだね)Pちゃんが意味もなくついて歩いて行ったりするさ。毎回という訳でもなかったので、ついて歩くのは演出の支持でもなかろうと思うのだが・・・。

        続く